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ニュースリリースのリリースコンテナ第一倉庫

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2025'12.06.Sat
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2006'11.27.Mon
10月18日から22日まで、イタリアでWorld Cyber Games(WCG)が開催された。熱い5日間を戦った日本代表選手たちは、大きな舞台で世界の仲間と闘い、交流して帰国した。ただし、noppo選手を除いて――

 noppo選手は今、スウェーデンにいる。

 noppo選手はイタリアへ行く前から、いや、WCGの日本予選の前からスウェーデン滞在を決めていた。今回はホームステイで3か月間滞在し、いったん帰国して準備した後、来年からはスウェーデンの国民学校に進学するつもりだ。世界最強のプロチーム「SK」がいる国、そして世界でもっともEスポーツが盛んな国、スウェーデン。18歳のnoppo選手は、アメリカでもなく、韓国でもなく、CS先進国のスウェーデンを選んだ。

 カウンターストライクで活躍し、プロゲームチームAXGに参加。その後ライバルだった4dN.PSYMINへ移籍したが活動停止に。しかしnoppoのプロ志向はふくらみ続けた。世界でプロの道が開けているなら挑戦してみたい。そんなnoppo選手の選択がスウェーデンだった。彼が何故、スウェーデン留学を決めたのか。何を目指しているのか。WCGの開催地イタリアへ出発する前日にnoppo選手に聞いた。

 「谷口純也です。18歳。文教大学付属高校から通信制の代々木高校に行って、卒業したけど大学には行きませんでした」

 Eスポーツとは直接関係ないけれど、通信制の代々木高校の話が興味深かった。

 「通ってもいいし、通わなくてもいい。試験の時だけは行かなくちゃ行けないんだけど、あとは自由にしていいんです」

 彼が通信制高校に行った理由は、最初に進学した高校で悩みにはまったからだ。トラブルがあったわけではない。高校進学で、順調な波風の立たない人生が始まった。このままでいいのか、という戸惑い、あるいは焦りのような気持ちが彼の内側で暴れていた。

 「高校に行って、大学に行って、会社に入って、定年になって、やっと自分の好きなことができる。そういう生き方になりそうで不安だった」

 勉強が嫌いだったわけではない。ただ、他の高校生よりも悩みが深いところにはまってしまったらしい。担任の先生とも話した。「お前は原始人のように獲物を追っていた方がラクなんだな」と言われた。それは悪い意味ではなかった。なんの疑問もなく社会に出たくない、そんなnoppoの人間性を認めた言葉だった。彼は高校を辞めた。しかし、親の奨めで通信制高校に編入する。通ってもいいし、通わなくてもいい。ただし、試験のときは必ず登校する規則だった。自由な高校生生活が始まった。

 「ゲームは好きでした。テレビゲームもやっていたし、高校に入ってパソコンを買ってもらってからはMMORPGで遊んでいました。」

 最初の高校で悩みにはまっているとき、LEDZONE蒲田店に通い始める。きっかけはパソコンゲーム雑誌だった。遊びに来ていた友人が「行こう」と言い始めた。蒲田は電車で3つめの駅。しかしnoppo自身は、気乗りしなかったという。

 「面白くないよこんなのって。難しそうだったし。でも行ってみたら面白くて、そのうちに開店から閉店まで入り浸るようになった」

 通っていくうちにLEDZONEの常連や店員と仲良くなって、toLというクランに誘われる。インターネットでカウンターストライク(CS)が遊べると知ったのもそのころ。店員のArk氏に3Dゲームが遊べるパソコンを組んでもらった。

 「LEDZONEはお金かかるけど、インターネット版は1回買えばお金はかからないでしょ」

 noppoはLEDZONEをきっかけにCSへ進んだ“新しいゲーマー”だ。僕はLEDZONEができたとき、いまはCSのファンが来ているけれど、逆にLEDZONEがCSのファンを開拓するようになるかも知れないと思った。それはもう現実になっていて、世界へ羽ばたこうとしているのだ。いや、それにしてもArk氏は優しい。お客さんにPCを組んであげたらお客さんが減っちゃうかもしれないのに。しかし、LEDZONEにはネットにはない魅力がある。noppoはLEDZONEにも通い続けた。

 「ネットでCSをやりながら、LEDZONEにも通っていました。gachaさんと知り合って、CLAN Jに入れてもらいました。昼はLEDZONE、夜はCS」

 朝「行ってきまーす」とLEDZONEに行き、「ただいまー」と帰ってきたら部屋に直行してCS?

 「そう(笑)。でも、高2くらいで“CS断ち”したんです。このまま遊んでるだけじゃいけないと思って」

 人生について考えようと思った?

 「いや、人生については前から考えていたんだけど(笑)。このままじゃダメになっちゃうと思った。周りの友達がバンドをやっていて、カッコいいと思って始めた」

 ギターを担当し、ギター教室のレッスンにも通った。しかし、CSほど楽しくなかったという。かっこいいけど楽しくない。そんな気持ちでは上達しない。それは自分でも解っていた。楽しいことをやると上手くなる。それはCSで経験していた。

 「そのとき、僕はカウンセリングに行っていて」

 カウンセリング?

 「バンドを辞める直前に、かなり落ち込んで無気力になっていたんです。で、気持ちが落ちたままバンドをやめて、何もしていなかった。それを親が心配して、カウンセリングに連れて行ってくれた」

 何人ものカウンセラーに会った。しかし、医者と患者のような、教師と生徒のような違和感がぬぐえない。そんなとき、“新宿の先生”を紹介して貰った。今までの先生とは違った。話していると元気が出る。noppoはやっと心を開き、悩みをぶつけた。

 「いくら大きな家を持っていても、自分でやりたいことをやっていなければ人生は楽しくないって言われて、気付いたんです。自分はやっぱり楽しいことをやろう。今でいちばん楽しかったことは何か。CSだ。自分で言うのもアレだけど、センスもあると思うし、相手をたくさん倒せば充実感もある。どんどんCSに復帰していきました」

 “新宿の先生”はCSを理解してくれた。CSを理解したと言うより、CSを説明するnoppoの目の輝きを理解してくれたのだろう。市場もある、海外ではプロもいる。そういう話を、先生は聞いてくれた。とことんやってみよう。頑張れば道は開ける。先生に話しながら、noppoの気持ちは固まっていった。CLAN ownsに入隊。腕を磨き、名前も知られ始めた。もっと上に行きたい。そんなときにふたつのプロゲームチームから声がかかる。AXGと4dN_PSYMIN。AXGはHAC氏が立ち上げた大阪のプロチーム。4dN_PSYMINは国内トップのプロゲームチーム。

 「ACON5の日本予選(2005年5月開催)のちょっと前です。俺、本当は4dNに入るって言ってたんです。でも4dNのほうの体制が整っていなくて返答が保留になっていた。そんなときにAXGに誘われたんですが、「noppoがいないとAXGの話自体がなくなっちゃう」って言われて「ええー」と思った。そんなこと言われたら行かなくちゃ、って」

 大阪へ行く。CSでプロになりたいと親に話した。海外にプロがある。楽しい、気持ちがラクだ、ありのままの自分が出せる、と。会社員の父は半信半疑のまま。それでも母をなんとか説き伏せて、4dNの返事を待たずに大阪に向かった。親としては寂しいやら、嬉しいやら、複雑な心境だったはずだ。無気力を案じてカウンセリングに連れて行った息子が、自発的に動こうとしている。こうしてnoppoはプロへの道へ踏み出した。しかし、AXGの活動は半年で終わってしまう。

 「メンバーのモチベーションの低下ですね。5人で合宿するはずが、実際にはほとんど揃うことが無くて練習にならなかった」

 昼間はネットカフェでバイトして、夜は練習、という話が、実際は違った。共同生活自体は楽しかったという。いつもネットが使えるし仲間がいる。しかし、本来の目的はプロであり続けることのはずだった。楽しい暮らし。でも、チームとしては崩壊していた。ちっともプロに近づいていない。退団申告、慰留の繰り返し。そして11月に脱退し東京に帰った。そしてnoppoは次のプロチームを作ろうと計画する――

(後編に続く)
(RBB TODAY) - 10月31日
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