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2024'11.25.Mon
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2007'05.17.Thu

理化学研究所など、「ファイ中間子」の質量が高密度下での減少を確認

「ファイ中間子」の質量が高密度下で減少することを世界で初めて確認

- 質量の起源の解明に大きな一歩 -  
 
 
◇ポイント◇ 
・原子核内という高密度環境の下で測定 
・ファイ中間子の質量が原子核内では約3%減少し、寿命は約1/4に 
・宇宙創成時にゼロであった素粒子が質量を獲得した機構を明らかにする大きな一歩 

 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK、鈴木厚人機構長)、国立大学法人京都大学(尾池和夫総長)、国立大学法人東京大学大学院理学系研究科附属原子核科学研究センター(CNS、大塚孝治センター長)で構成される研究チーム※1(実験責任者:延與秀人(えんよひでと)(理研 主任研究員))は、「ファイ中間子※2」の質量が原子核内部という高密度下で減少することを世界で初めて測定しました。
 物質が質量をもつことは自明ではなく、宇宙創成時の超高温・高密度状態においては素粒子の質量はゼロであったと考えられています。このことを実験的に示すため、高温または高密度状態下での素粒子の質量減少を測定する実験が世界各地で試みられています※3。
 本研究チームは、通常の原子核の内部が質量減少を検証するのに十分な高密度になっていることに着目し、原子核内部でファイ中間子の質量を測定することにより、高密度下での質量減少を検証しました。KEKの12GeV陽子加速器から引き出した陽子ビームを銅や炭素などの原子核標的に照射することによってファイ中間子を原子核の内部に生成し、その質量をファイ中間子の崩壊生成物である電子・陽電子ペアを用いて測定した結果、ファイ中間子の質量が原子核内で減少することを確認しました。今回の研究により、高密度状態下での素粒子の質量減少が実験的に確立されました。これは素粒子の質量獲得機構の理解に大きく貢献する実験結果です。
 本研究成果は、米国科学誌『フィジカル・レビュー・レターズ』のオンライン版に近く掲載予定です。 


1.背 景 
 全ての物質は陽子・中性子でできた原子核と、その周りを回る電子から構成されています。電子は原子核と比べて質量が非常に小さいので、身の回りの物質の質量のほとんどは、陽子・中性子の質量であるということができます。この陽子・中性子は、さらに小さな「クォーク」と呼ばれる要素が3つ集まってできています。すると、陽子・中性子の質量は約1000MeV/c2※4であることから、クォーク1つの質量は300MeV/c2程度であることが予想されます。
 一方、物理法則を記述する最も基本的な理論である「標準理論」では、素粒子はヒッグス機構※5によって質量を獲得するとされています。しかし、「ヒッグス機構」によって獲得されるクォークの質量はわずか5~8MeV/c2程度であり、単純に3つ足し合わせても陽子・中性子の質量のわずか2%程度しか説明できません。ヒッグス機構だけでは、クォークが結びついてできる陽子や中性子などの質量を説明するには十分ではないのです。
 このクォークの大きな質量の起源については、今までにさまざまな実験的・理論的研究が行われてきました。現在、理論的にはクォークの大きな質量は次のような仕組みで獲得されたと考えられています。

 物質の周りをとりまく真空は、実は何もない空っぽの空間ではなく、反クォーク・クォークの対がぎっしりと詰まっています。これを「クォーク凝縮」と呼びます。クォークが真空中を進む際には、このクォーク凝縮の海をかき分けるようにして進んでいかなければならないため、約300MeV/c2という大きな質量が発生するのです。クォーク凝縮はビッグバンによる宇宙創成直後の超高温・高密度状態においては存在しませんでしたが、その後の宇宙の急激な膨張・冷却の過程で真空中に生じました。

 もしこの理論的描像が正しいのならば、クォーク凝縮の量が少ない高温・高密度状態では、陽子・中性子や中間子などのハドロン(クォークが3つまたは2つ集まってできている粒子の総称)の質量が減少すると予想されます。研究チームは、このような理論予想を実験的に検証するため、原子核という自然に存在する高密度状態を用いて実験を行うことを考えました。つまり、ファイ中間子というクォーク2つからなるハドロンの質量が、真空中と原子核内とを比べてどのように変化するのかを測定することにしました。
 ファイ中間子は、似たような質量と性質を持つほかの粒子がなく、しかも幅の狭い質量分布※6を持つので、質量変化についてあいまいさのない議論ができるという大きな利点があります。  

2.実験手法 
 実験はKEKの陽子シンクロトロンを用いて行われました。12GeVに加速された陽子を照射することにより、銅や炭素などの標的原子核の内部にファイ中間子がある一定の確率で生成されます(図1上)。生成されたファイ中間子は飛行していきますが、約1.5×10-22秒という寿命ののちに崩壊します(図1中)。
 本実験では、ファイ中間子の質量をその崩壊生成物である電子・陽電子ペアを用いて測定しました(図1下)※7。ファイ中間子の真空中での質量については、過去に行われた電子と陽電子の衝突実験などによってよく測られているので、そのデータと比較しました。
 ファイ中間子は崩壊するまでのあいだ、原子核内部を飛行していきますが、速度の大きいファイ中間子は崩壊するまでに原子核の外に出て、真空中での質量に戻ってしまいます。速度の小さいものほど崩壊時点まで原子核内部にとどまる確率が大きくなります。また、標的として大きな原子核を用いるほど、原子核内部でファイ中間子が崩壊する確率が大きくなります。
 原子核内でファイ中間子が崩壊した場合、電子・陽電子ペアは周りの原子核物質をつき抜けて外に出てくるわけですが、もし電子・陽電子が原子核物質によって散乱されてしまった場合、親粒子であるファイ中間子の質量についての情報が失われてしまいます。ところが電子・陽電子は原子核物質との相互作用が小さいため、このような散乱の効果を非常に小さく抑えることができます。
 図2に、観測が期待される質量分布のシミュレーション結果を示します。生成されたファイ中間子のうち、真空中で崩壊したものの分布(図2上右)は、従来測られているファイ中間子の分布です。原子核内部で崩壊したものは変形した分布(図2上左)を持つ可能性があり、この変形の測定が本実験の目的です。ファイ中間子の全てが原子核内部で崩壊するわけではないので、観測される分布は既知の分布と変形した分布の重ね合わせ(図2下)になります。
 研究チームは、このような質量分布の変化を測定するため、電子・陽電子ペアを識別し、その運動量を測定するスペクトロメータ(検出器群)をKEKに建設しました(図3)。前述のように、ファイ中間子の質量測定に電子・陽電子ペアを用いることで、原子核内部でのファイ中間子の質量情報が散乱によって失われることなく測定できるのですが、電子・陽電子測定には様々な難しさが存在します。まず、陽子ビームを原子核標的に照射した際にそもそもファイ中間子が生成される確率が小さく、さらに生成されたファイ中間子のうちの0.03%しか電子・陽電子ペアに崩壊しないため、ファイ中間子以外からの電子・陽電子(バックグラウンドと呼ぶ)をできるだけ抑制した実験を行わなければなりません。用いる原子核標的が厚いとバックグラウンドが増えてしまうため、非常に薄い標的を用い、また統計量を稼ぐために強度の大きな陽子ビームを照射して実験を行いました。さらに、陽子を原子核に照射すると大量のパイ中間子が発生するため、その中から電子・陽電子を精度よく識別する必要があります。このため、電子・陽電子識別装置を2段または3段構えに配置し、パイ中間子除去能力が高い構成としました。また、速度の小さいファイ中間子の崩壊によって生まれる電子・陽電子ペアを効率よくとらえるために、スペクトロメータは広い角度をカバーする必要があります。加えて、ファイ中間子の小さな質量変化を測定するためには、電子・陽電子の運動量を高精度で測定する必要があります。研究チームはこれらを実現し、電子・陽電子ペア崩壊を用いたファイ中間子の質量測定としては世界最高の精度を達成しました。
 このスペクトロメータの建設は1996年から、実験は1997年から開始され、2002年3月にデータ収集を終えました。収集した約2.3テラバイト※8の大容量データを、主にRIKEN-CCJ(RIKEN PHENIX Computing Center in Japan)及びRSCC(RIKEN Super Computer Cluster)を用いて解析することにより、ファイ中間子の質量に関する情報を引き出すことができました。  

3.実験結果 
 図4の赤い点が今回の実験で得られたファイ中間子の質量の分布を表すデータ点を表します。青い線はファイ中間子が原子核物質の影響を受けずに崩壊した場合の既知の分布です。左図は標的原子核として比較的大きな銅原子核を用いた場合、右図は、比較的小さな炭素原子核を用いた場合の結果です。ここでは、速度の小さなファイ中間子のみを選んで観測しています。左図をみると、ファイ中間子の真空中崩壊のピークの左側、つまり低質量側に、既知の分布の形では説明できない超過成分が観測されています。この超過成分は、もともと青い線で描かれる形を持っていたファイ中間子の一部が変形して形作っていると考えられます。炭素原子核を用いた右図ではこの超過が見られないことは、この超過が原子核内部で崩壊したファイ中間子によって形作られていることを示します。
 また、図4は速度の小さなファイ中間子のみを選んで観測した場合の結果ですが、速度の大きなファイ中間子を選んでみると、この超過成分が少なくなることもわかりました。原子核標的が小さい、または速度の大きいファイ中間子を選んだ場合、ファイ中間子が原子核の外に出てから崩壊する割合が大きくなることから、観測されるファイ中間子の質量変化は小さくなると予想されます。今回得られた結果はこの予想と一致しており、観測された超過成分がファイ中間子の原子核内崩壊によって形成されたものであることを支持します。
 原子核内での質量変化に対するモデルを取り入れて詳細にデータを解析した結果、ファイ中間子の質量が原子核内で約3%減少し、加えて寿命が約1/4に短くなっているという結論を得ました。この質量減少は、初田・リーによる、クォーク凝縮によってハドロンの質量が生み出されているという前提に基づいた理論予想※9とよく一致しています。
 本実験では、物質の質量の高密度中における変化を直接とらえることを目的とし、これに成功しました。従来、ファイ中間子を原子核標的内に生成してその質量を測定する実験は数多く行われていますが、主に質量の測定の精度や統計量の不足、またはファイ中間子が原子核内部から真空中に飛び出してしまった後に質量を測定していることにより、質量変化を観測した例はありません。本実験で得られた結果は、高密度中でのファイ中間子の質量減少を直接測定した世界初の結果です。  

4.今後の期待 
 本実験で得られた「ファイ中間子の質量が原子核内という高密度状態下で減少する」という結果は、宇宙創成直後の超高温・高密度状態の下では物質の質量がほぼゼロであったという理論予想を支持するものであり、この世界の物質の質量が生まれてきた機構を明らかにする上で大きな一歩を踏み出した貴重な実験結果といえます。
 今後は、さまざまな密度・温度の媒質の中で、物質の質量がどのような振る舞いを見せるのか系統的に研究していくことが重要になります。現在茨城県東海村において建設中であるJ-PARC実験施設では、本実験の約100倍もの高統計データを収集し、ファイ中間子の原子核内での質量変化についてより精密な結論を出すことを目指す計画が進行中です。さらに、大きな原子核同士を正面衝突させることによって超高密度状態をつくりだす可能性についても議論されています。また、理研仁科加速器研究センター延與放射線研究室も参加している米国ブルックヘブン国立研究所・RHIC加速器における高エネルギー重イオン衝突実験では、陽子の中のクォークがばらばらにとびまわる「クォーク・グルーオン・プラズマ」ができるほどの超高温状態が実現していることを示唆する実験結果が得られています。このようなさまざまな環境下での中間子の質量を測定していくことにより、物質の質量の起源についての理解が近い将来急速に深まっていくことが期待されています。  


< 補足説明 >
※1 研究チーム 
 論文著者は以下の日本人26名。(所属は実験参加時の所属。順不同。)
  理化学研究所 
   延與秀人、成木恵、武藤亮太郎、田原司睦、四日市悟 
  高エネルギー加速器研究機構 
   千葉順成、家入正治、佐々木修、関本美知子、田中万博 
  京都大学 
   舟橋春彦、深尾祥紀、北口雅暁、石野雅也、神田浩樹、三原智、宮下卓也、三輪浩司、村上哲也、
   名倉照直、佐久間史典、外川学、山田悟、吉村善郎 
  東京大学CNS 
   浜垣秀樹、小沢恭一郎  
 
※2 ファイ中間子 
 ファイ中間子は、ストレンジクォークと反ストレンジクォークという2つのクォークが結びついて出来た素粒子。真空中での質量は約1019MeV/c2であり、生成されてから約1.5×10-22秒の寿命ののちに崩壊する。大部分はK中間子・反K中間子対に崩壊するが、約0.03%のファイ中間子は、電子・陽電子対に崩壊する。本実験ではこの電子・陽電子対を検出してファイ中間子の質量を測定する。
 
※3 世界のその他の実験 
 早野教授(東大)が率いる東京大学、理化学研究所を中心とした研究グループは、パイ中間子が原子核に深く束縛している基底状態を生成、観測した。この状態のエネルギーを調べることでパイ中間子と原子核の間の相互作用を精密に決定し、クォーク凝縮が原子核内で減少することを示す結果を得た。
 http://www.s.u-tokyo.ac.jp/info/hayano.html を参照。
 そのほかにボン大学ELSA加速器におけるTAPS検出器を用いた実験、欧州合同素粒子原子核研究機構(CERN)のSPS加速器におけるNA45実験、米国ブルックヘブン国立研究所のRHIC加速器におけるPHENIX実験、STAR実験などがある。  
 
※4 MeV/c2 
 質量の単位。1MeV/c2はおよそ1.7×10-30kg。 
 
※5 ヒッグス機構 
 物理法則を記述する最も基本的なものは「標準理論」として知られている。この理論では、あらゆる粒子の「本来の」質量はゼロでなければならない。現実の粒子の多くは質量を持つことを説明するため、ヒッグス機構においては、真空中は「ヒッグス場」によって満たされていると考え、ヒッグス場と相互作用する粒子は真空中を進む際に抵抗を受けるため、質量を持つことになる。 
 
※6 質量分布 
 不安定な(ある寿命で崩壊する)素粒子の質量は一定ではなく、図2の図右上の青いラインのように幅をもって測定される。この形のことを質量分布と呼ぶ。この幅は、粒子が本来持っている「崩壊幅」と呼ばれるものと、測定精度によって決まっている。崩壊幅は粒子の寿命と反比例の関係にあり、寿命が長いものほど狭い幅を持つ。(つまり安定な粒子の質量は一定と考えられる。) 実際の測定においては、崩壊幅で決まる形がさらに測定精度によって広がった形が観測されることになる。原子核内部での中間子の質量の変化は、この形の変化として測定される。 
 
※7 質量測定の原理 
 ファイ中間子は電子と陽電子のペアに崩壊するが、ファイ中間子の質量は約1000MeV/c2であるのに対し、電子と陽電子の質量はあわせて1MeV/c2程度。この質量の差はエネルギーとなって電子と陽電子に分け与えられ、電子と陽電子はそのエネルギーに対応する運動量を持って飛び出す。ファイ中間子の質量が減れば、その分だけ電子と陽電子に与えられる運動量が減る。この電子・陽電子ペアの運動量を測定することで、親の粒子であるファイ中間子の質量を測定することができる。 
 
※8 テラバイト 
 情報量の単位。TBと表記する。テラ(tera)は1兆倍(1012)倍を表わす接頭語。1TB=1,024GB(ギガバイト)。 
 
※9 初田、リーの理論予想 
 1992年に初田教授(東大)、Lee教授(Yonsei大)によって発表された、中間子の質量変化に対する計算結果(Physical Review C46, R34(1992))。クォークとそれらの間の相互作用を記述する理論を量子色力学(QCD)と呼ぶ。初田、リーはロー中間子、オメガ中間子、ファイ中間子の質量が密度の変化に対してどのように変化するのかをQCDに基づいて計算し、ファイ中間子の質量が密度に比例して減少し、原子核内では1~4%減少することを予言した。 
 

図1 実験の原理の概略 
図2 観測が期待される質量分布のシミュレーション結果 
図3 本研究の実験装置の概要 
図4 実際に観測された質量分布 
 (※ 関連資料を参照してください。)

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