理化学研究所と東北大など、重イオンビームを用いた耐塩性のイネの作出に成功
重イオンビームを用いてイネの耐塩性変異系統を作成
- 「日本晴」で世界初の塩害耐性栽培の新品種誕生 -
◇本研究成果のポイント◇
・ 塩害水田でもすくすく育つイネ
・ 炭素イオン照射で変異、わずか2年で品種改良に成功
・ 獲得した耐塩性は他のイネ品種にも付与可能
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、仁科加速器研究センターリングサイクロトロンから発生する重イオンビーム(※1)を用いて、わずか2年という短期間で耐塩性のイネの作出に成功しました。仁科加速器研究センター(矢野安重センター長)生物照射チームの阿部知子副チームリーダーと国立大学法人東北大学(吉本高志総長)大学院生命科学研究科佐藤雅志助教授との共同研究による成果です。
重イオンビームを使った突然変異誘発法は、ガンマ線照射やX線照射などの物理的変異処理や化学的な変異剤処理などの従来の突然変異誘発による品種改良手法に比べ、処理植物に障害を与えない処理(極低線量照射)においても遺伝子の変異率が高く、また変異の固定に長い年月を必要としない特性を持っています。生物照射チームは、この重イオンビームを使った作物の品種改良をすでにイネ、コムギ、オオムギ、トウモロコシ、ヒエ、ソバ、ダイズ、サツマイモなどで実施、葉緑体変異株を変異効率の指標として、糯性や矮性変異株などを作出するなどと技術を高めてきました。共同研究グループは、この技術を耐塩性の稲の開発に活用したもので、理研リングサイクロトロンで炭素の重イオンを使い、稲の品種「日本晴」の種に照射するなどして、耐塩性が従来品種よりも1.5倍という系統を選抜しました。選抜では、実際の圃場(ほじょう)(限られた面積の海水の塩類の1/4程度の濃度、具体的には水田の20倍以上)に汚染された塩水を付加し、直接耐性株選抜を行い、耐塩性を示すイネを作出することに成功しました。これらの変異株を交配親として用いることによって栽培イネに耐塩性を付与できると考えられ、塩害が進んでいる耕地でも栽培できるイネの育種が進むことが期待されます。
本研究成果は、平成18年9月21日~23日に国立大学法人愛媛大学(愛媛県松山市)にて行われる第110回日本育種学会にて発表されます。
1. 背景
土壌に塩分が集積し、土壌環境や農業に深刻な被害をもたらす塩害は、アフリカ諸国やパキスタン、中国などのアジアの諸外国で深刻化しています。また、インドやアメリカでは地下水の渇水による耕地での塩害が問題になっています。このため、塩害による育成阻害をどのように防止するかが大きな課題で、耐塩性イネの育成方法の研究開発が望まれています。一般に環境耐性は1つの遺伝子ではなく、複数の遺伝子に支配されているため、耐性変異系統を育成することは難しいとされています。そのため、これまで通常の栽培イネ品種を用いて体細胞変異やEMS(ethyl methanesulfonate)やX線照射などによる突然変異誘発を使った耐塩性変異系統の作出、育成を試みた例は少ない状況です。また、少ない例では、いずれも幼植物期段階やポット栽培で耐塩性を調べたにすぎず、実際の圃場レベルの栽培で耐塩性を示すか否かは確認されていません。耐性変異系統の選抜には一般に1000系統から10000系統が必要とされており、そのような多くの系統の栽培には広い面積を要します。そのため、実際の圃場を使ったレベルの栽培では耐塩性を評価することが事実上困難であり、これまで行われた例はありません。このため、圃場レベルの栽培で耐塩性の評価を行うためには、変異率を上げて選抜系統数を減少させることが必要となります。また、従来の手法では、多数の突然変異体を生み出すのが困難であったり、耐性変異系統を選抜後の後代に発現される不良形質の排除に、優良系統との交配を繰り返さなければならなかったり等、長い年月、労力、および費用を必要とします。従って、変異処理によって耐塩性以外の形質に影響を及ぼすことなく、かつ選抜の短期化と労力の軽減化を図る手段が望まれています。
2. 研究手法と成果
(1) 変異処理および変異系統作成
具体的には、新しい稲の品種として親しまれている「日本晴」の催芽種子(※2)に、仁科加速器研究センターに設置している理研リングサイクロトロン(RRC)で加速した炭素イオン(核子あたり135MeV LET 22.6KeV/um)を20Gy(グレイ)~40Gy照射しました。その照射種子を圃場で栽培し、照射(M1)個体から得た第二代となる(M2)種子を耐塩性の選抜に用いました。
(2) 選抜および固定
M2種子は1系統50粒ずつ播種し、東北大学生命科学研究科の温室で育苗後、同・湛水生態系野外実験施設内の試験水田に移植しました。水田移植後2週間から塩水と農業用水を水田に流し込み、湛水のNa+濃度を海水の1/4なみの(あるいは普通の農業用水の20倍以上となる濃度の)50~100mMに調節しました。収穫時には耐性と感受性の分離比や草丈を観測して種子を乾燥した後、穂重などを測定しました。耐塩性の指標は、葉身の枯れ程度・草丈・穂数・穂重などです。耐塩性を示した変異系統は、種子を採取し、M3世代やその後代を塩水付加水田で育成し変異形質の安定性の確認および固定を行いました。その結果、173系統より2つの耐塩性系統を選抜することができました(出現率1.2%)(図1)。選抜した耐塩性系統は収穫時にも葉色が緑色を保ち、草の勢いが強く、稔性が高いものとなりました。(図2)具体的には塩害で汚染された水田で育てても籾数が普通の水田で育てた日本晴に比べて90%と下がったものの稔実率が普通と変わらず100%、千粒重量は102%と逆に高い実績を上げました。(表1)
(3) 耐塩性の検定
選抜した2つの系統は、水耕栽培法を用いて耐塩性の評価を行いました。水耕液を入れた容器内のネット上に催芽種子を播種して、環境調節装置内(25℃ 12時間日長)にて栽培を行い、播種後5日目から、水耕液のナトリウムイオン(Na+)濃度がそれぞれ0、50、75、100mMになるように塩化ナトリウムを付与しました。栽培開始後、16~20日目に草丈の測定をし、その後地上部の乾燥重量を測定しました。その結果、2つの系統とも草丈と地上乾燥重の相対値が正常株よりも高い値となり、塩分(NaCl)付与時に対する耐性が確認されました。
3. 今後の展開
重イオンビームは花卉(かき)園芸植物において、花色や花型変異株の出現率が高く効率の良い変異原として実用化が進んでいます。今回これをイネ種子に処理することで、1%という高い変異率を有するため、限られた面積の塩害水田におけるより少ない変異系統株からの変異株の選抜を可能としました。さらに、選抜された耐塩性株を交配に用いることによって、様々なイネ品種に塩耐性を付与することが可能になります。また、イネゲノムデータベースを利用した遺伝解析(連鎖解析)などによりこの変異遺伝子領域が同定されると、イネとゲノムの類似性が高いトウモロコシやソルガムなどの単子葉植物でも耐塩性育種におけるマーカー利用選抜(※3)が可能となるかもしれません。
(問い合わせ先)
独立行政法人理化学研究所
仁科加速器研究センター 生物照射チーム
Tel : 048-467-9527 / Fax : 048-467-4674
国立大学法人東北大学大学院生命科学研究科
Tel : 022-217-5689 / Fax : 022-217-5689
<補足説明>
(※1) 重イオンビーム
原子から電子をはぎ取って作られたイオンのなかで、ヘリウムイオンより重いイオンを重イオンと呼ぶ。これを、加速器を用いて高速(光の約1/2のスピード)に加速したものが重イオンビーム。
(※2) 催芽種子
充分吸水した種籾に胚の生長に最適の温度(30℃前後)を与え、芽を出させた種子のこと。
(※3) マーカー利用選抜
DNAの塩基配列上の特定の位置に存在する個体の違いを表す目印がマーカー。このDNAマーカーを用いて形質の遺伝を追跡するのがマーカー利用選抜で、有用な形質を見つけ出しそれらの植物を他の品種と交雑育種することで効率よく品種改良ができる。
*参考画像などは添付資料を参照