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2024'11.26.Tue
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2007'05.29.Tue

理化学研究所、ヒトES細胞の培養効率を向上させる培養法を開発

ヒトES細胞の画期的培養法開発:大量培養や大脳神経細胞産生が可能に
- 再生医療や創薬開発を加速する新技術の確立 -


◇ポイント◇
・従来の培養法で起こるヒトES細胞の細胞死の問題を簡単な薬剤処理で解決 
・たった1個のヒトES細胞から高効率で細胞塊を形成、遺伝子導入が飛躍的に簡便に 
・ES細胞からヒト大脳細胞の高効率な産生を世界で初めて成功 

 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、ヒトES細胞【※1】の培養効率を、簡単な薬剤処理を行うことで飛躍的に向上させる培養法を世界に先駆けて開発しました。発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)細胞分化・器官発生研究グループの笹井芳樹グループディレクター、渡辺毅一研究員(現在はカリフォルニア工科大学研究員)、上野盛夫客員研究員(国立長寿医療センター病院感覚器再生科医長)らを中心とした研究グループの成果です。
 笹井グループディレクターらは、これまでに、マウスなどの動物ES細胞からドーパミン神経、網膜細胞、大脳細胞などの中枢神経系ニューロンを試験管内で高効率に分化させる技術を世界に先駆けて開発してきました。2006年には、羊膜の成分を利用して、ヒトES細胞からドーパミン神経細胞を高効率に産生する技術も開発し、パーキンソン病の再生医療の実現に向けた取り組みも行っています。しかし、マウス由来のES細胞に比べて、ヒトES細胞の培養には高度な技術的課題を伴い、それが研究開発を遅らせる要因となっていました。特に、ヒトES細胞は、培養過程で必要な様々な操作を行うと容易に細胞死【※2】を起こし、細胞数を著しく損なうことは、未解決の技術的な障壁となっていました。
 研究グループは、この障壁を解決し、ヒトES細胞の医学応用を大きく促進する技術開発を狙いました。渡辺研究員らは、ヒトES細胞を1つずつバラバラにしてから培養する際に必ず起こる細胞死の引き金が、Rho キナーゼ(ROCK)【※3】という細胞内のリン酸化酵素の活性化によることを発見し、その働きを阻害すると細胞死が抑制できることを明らかにしました。実際に、ヒトES細胞をROCK阻害剤を含む培養液で育てるとES細胞1個あたりの細胞塊(コロニー)形成率は約30倍も亢進しました。また、難しかったヒトES細胞への遺伝子導入も容易にできることも実証しました。さらに重要なことに、この技術を活用して、これまで困難であったヒトES細胞からの大脳皮質前駆細胞の効率的な産生にも、世界に先駆けて成功しました。
 今回の研究成果は、ヒトES細胞の培養をマウスES細胞の培養並に容易にする点で技術的なブレイクスルーとなります。これは、再生医療への応用に必須である細胞の品質管理、大量培養、分化技術の開発に大きく貢献します。さらに医療産業への応用として、新薬の開発や安全性研究を大きく加速することが期待されます。
 本研究は、文部科学省のリーディングプロジェクト「再生医療の実現化プロジェクト」の一環として進められました。成果は、米国科学誌「ネイチャー・バイオテクノロジー」オンライン版(5月27日付け)に掲載予定です。

1. 背景
 ヒトを含む哺乳動物の組織は、一般に再生能力が低く、一旦損傷をうけると自然には回復しにくい特徴があります。幹細胞を応用した再生医学研究は、生体内あるいは生体外で幹細胞を殖やし、それを利用して組織を修復・再生することを目指しています。特に胚性幹細胞(ES細胞)は、身体のすべての種類の細胞に分化(自らの性質を不可逆的に変化させ、別の種類の細胞になること)する能力(多能性)と、試験管の中で無限に殖える能力(自己複製能)とを有しており、その利用開発は、再生医療の基盤技術として大きな期待が寄せられています。90年代後半にヒトES細胞が樹立され、日本でも研究利用が可能になり、その高い医学利用の可能性に多方面から注目が集まっています。
 これまでに、研究グループは、神経系および感覚器系の様々な有用細胞をマウスやサルのES細胞から試験管内で分化させることに、世界に先駆けて成功しています(SDIA法やSFEB法など:2005年2月7日プレス発表など)。
 それらのうち、例えば、パーキンソン病細胞治療に期待されている中脳ドーパミン神経細胞、網膜変性症治療に期待されている視細胞や色素上皮細胞、小脳変性症の研究に必須の小脳神経細胞、痴呆やハンチントン病と関わりの深い大脳皮質細胞や基底核細胞などは、医学的に価値の高いものです。
 同グループではさらに、これらの動物ES細胞で開発した技術を順次ヒトES細胞の分化に応用してきました。2006年にはヒトES細胞をヒト由来材料(ヒト羊膜細胞外基質)と培養して、ドーパミン神経細胞を産生することに成功し、パーキンソン病細胞治療の実現化に大きく寄与しました(2006年6月6日プレス発表)。
 しかし、マウスなどのES細胞で急速に開発されている技術を、医学利用のためにヒトES細胞に応用することには、技術的に大きな障壁が存在します。特に、1)未分化ヒトES細胞の増殖を促進する因子が明確でないこと、2)ヒトES細胞は培養過程の様々な操作で容易に細胞死を起こすこと、が容易に解決できない二大問題でした。
 1)については、マウスES細胞と異なり、単一の増殖因子を培養液に添加することで未分化のヒトES細胞を維持培養することは未だに実現できていません。しかし、米国ウィスコンシン大学などからのいくつかの研究の結果、複数の増殖因子や培養条件を組合せることで、近年徐々に増殖効率が改善されてきました。
 一方、2)の「細胞死」の抑制は全く未解決のままでした。ヒトES細胞はマウスES細胞と異なり、非常にストレスに弱く、細胞培養で頻用している通常の操作でも簡単に細胞死を起こします。例えば、細胞を増殖させるために植え継ぐ際には、通常トリプシンなどを使って細胞を1つずつバラバラにし、新しい培養皿に移し、1つ1つの細胞から細胞塊(コロニーと言います)を形成させます(分散培養)。ところが、ヒトES細胞はこのような分散培養をすると99%の細胞が2日以内に死んでしまいます。そのため、細胞塊を機械的に少し小さくほぐして植え継ぐ(ここでは「株分け培養」と呼びます)という非常に非効率的な方法でしかES細胞を確保できません。そのため、高度な培養技術、例えば大量培養や細胞単離、遺伝子導入はできず、応用への大きな障壁となっていました【図1】。
 一方、分散培養は、ES細胞から各種の有用細胞を分化させる方法としても不可欠で、マウスES細胞研究では多用されてきました。この分散培養をヒトES細胞に適用できないことが、ヒトES細胞の分化の研究でも大きなネックとなっていました。
 研究成果は、この問題を根本的に解決する技術的なブレイクスルーをもたらすものです。

2. 研究手法と成果
 研究グループは、細胞内の特定の酵素に対する阻害剤を培養液へ添加するという単純な処理を行うことで、ヒトES細胞の生存を著しく亢進させる技術を樹立しました。また、この方法により、これまで困難であったヒトES細胞から効率の良く大脳神経細胞を産生することを可能としました。

(1) ヒトES細胞の「内なる殺し屋」Rhoキナーゼ(ROCK)を同定 【図2】
 上述のように、ヒトES細胞は、単一細胞に分散して培養すると99%が細胞死を起こし、コロニーを形成することができません。このような細胞死を引き起こす現象は、マウスES細胞では認められず、霊長類(ヒト及びサル)ES細胞に特有の現象です。これまでに、笹井グループディレクターを始め、多くの研究者が細胞死の阻害剤(カスパーゼ阻害剤など)を用いて、この細胞死を抑制し、ヒトES細胞の生存を高める試みを行いましたが、十分な成果は得られませんでした。ヒトES細胞を効率よく培養することが出来ないために、ヒトES細胞の大量培養はもちろん、分散培養やコロニー形成を必要とする研究開発は、実際上不可能でした。
 研究グループでは、運動神経細胞などのごく特殊な細胞死に関わっている可能性のみが示唆されていたRhoタンパク質と、Rhoが結合することで活性化されるRhoキナーゼ(ROCK)という酵素に注目しました。このRhoタンパク質がヒトES細胞で果たす役割を調べたところ、ヒトES細胞をバラバラに分散するとすぐにRhoタンパク質の活性化が起こることを発見しました。Rhoタンパク質の活性化は、続いてROCKの活性化を引き起こしますが、ROCKの選択的阻害剤であるY-27632【※3】を作用させたところ、ヒトES細胞の分散による細胞死を強く抑制し、1個の細胞からの細胞塊(コロニー)形成率が約30倍に亢進しました。分散したヒトES細胞の生存促進は、Fasudil【※3】などY-27632以外のROCK阻害剤を添加することでも認められました。
 このことは、分散培養の際にヒトES細胞の「殺し」をつかさどる細胞内因子が、実は、一般的な細胞死にはあまり関係しないとされてきたROCKであることを世界で初めて証明したことになります。

(2) ヒトES細胞培養が劇的に改善
 ROCK阻害剤の生存促進作用は非常に強力で、たった1個のヒトES細胞を培養皿にいれた場合でも、そこから細胞塊を成長させることができます。また、分散後12時間作用させるだけで、細胞死をほぼ完全に抑制することが出来ます。
 さらに、ROCK阻害剤存在下で培養すると、ヒトES細胞は、ES細胞特有の性質を失いません。すなわち、自己複製能や多能性を保ったまま培養する、維持培養が可能となります。また、ヒトES細胞は、分散培養をしなくても中程度に細胞死が起こりやすく、殖えにくい性質がありますが、ROCK阻害剤は、分散培養以外でもヒトES細胞の生存、増殖を促進することが判明しました。
 長らく解決されなかったヒトES細胞の細胞死の問題は、このように単純なROCK阻害剤の薬剤処理でほぼ解決することができました。
 ちなみに、大量培養を考えた場合、従来の「株分け」培養法では1ヶ月かけてやっと100倍程度に細胞を殖やすことができるのみでしたが、今回のROCK阻害剤を使う新しい分散培養法では、計算上1ヶ月で1万倍以上に細胞数を殖やすことが可能になる効率になります。

(3) ヒトES細胞への遺伝子導入改変細胞を作成 【図3】
 ヒトES細胞に外部から遺伝子を導入し、遺伝子改変細胞を作ることは、ヒトES細胞を用いた基礎および応用医学研究で非常に重要な手法となります。しかし、外来遺伝子がヒトES細胞のゲノムへ組み込まれる効率は一般に0.1%以下と非常に悪く、そのため遺伝子が組み込まれた細胞を、組み込まれなかった数多くの細胞から選別するためには、分散培養によるコロニー形成が必須になります。ところが、上述したように、これまでヒトES細胞の分散培養の効率が著しく低かったため、遺伝子改変細胞株を得るためには何十枚もの培養皿を使う大量の導入実験を行う必要がありました。
 この難問も、ROCK阻害剤を培養中に添加すると分散培養の効率が劇的に向上することにより、解決しました。遺伝子改変細胞の作成は、10cm培養皿1枚程度で十分行うことが可能となりました。

(4) ヒトES細胞からヒト大脳皮質細胞を産生
 これまでに、同研究グループは、マウスES細胞から大脳神経前駆細胞を効率的に産生する手法を開発しました(2005年2月7日プレス発表)。しかし、この方法は、細胞分散および浮遊培養(細胞を培養皿の底に接着させず、培養液に浮遊させて培養する)のステップを含んでいたため、ヒトES細胞にこの手法をそのまま適用すると、強い細胞死を惹起し、細胞がほとんど全滅してしまうという問題がありました。
 そこで、ROCK阻害剤をこの培養系に添加したところ、ヒトES細胞は、分散および浮遊培養にも関わらず良く生存しました【図4】。さらに神経分化を阻害するWnt、Nodal、BMPという3つの細胞外シグナル因子を働かなくするために、それらの阻害剤を加えると、培養開始35日後には9割以上の細胞細胞が神経系細胞となり、その33%の細胞が大脳神経前駆細胞または大脳神経細胞に分化していることがわかりました【図5】。こうして育った大脳細胞を詳細に解析した結果、それらの大部分は大脳のなかでも皮質の前駆細胞であることが判明しました。大脳には皮質以外に、その腹側に存在する基底核という運動制御中枢がありますが、培養の過程でソニックヘッジホグというタンパク質を添加すると、同様の分散・浮遊培養法でヒトES細胞から基底核の神経細胞も産生できることが判明しました。

3. 本研究成果の応用面での特徴
 今回の研究は、困難であったヒトES細胞の培養を劇的に改善したことで、マウスES細胞並の操作を可能にする画期的な技術的ブレイクスルーをもたらします。

 医学応用の観点からは、この技術は次のような重要な意義を持ちます。

1) ヒトES細胞の分散培養による大量培養を可能にする。
2) ヒトES細胞を単一細胞から増やし直すことで、均一な細胞品質管理を可能にする。
3) 上記の細胞品質管理は、腫瘍化や染色体異常などの再生医療での安全性を改善する。
4) ヒトES細胞を用いるハイスループットでの創薬や毒性スクリーニングを可能にする。
5) ヒトES細胞への遺伝子導入株の単離を容易にし、病因解明や創薬研究を加速する。
6) ヒトES細胞の取扱い全般を容易にし、再生医学以外にもより広い範囲の医学・薬学系研究者の開発研究への参加を促進する。
7) ヒト由来の大脳皮質および基底核細胞を試験管の中で大量に産生することを可能にし、大脳の神経変性疾患【※4】の再生医療研究、病因研究や創薬開発を強力に推進する。

 このROCK阻害剤を用いたヒトES細胞の維持培養および分化誘導法については、すでに理化学研究所から特許申請を出願済みです。

 なお、ROCK阻害剤(Y-27632やFasudilなど)はすでに血管拡張剤などとして臨床応用されており、ヒトに対して安全性の高い薬剤であることはすでに証明されています。ROCK阻害剤を用いたヒトES細胞の培養が、再生医療応用に活用される場合についても、安全性の問題は少ないと考えられます。

4. 今後の展望
 今回の研究では、ヒトES細胞を医学および関連産業に応用する際に立ちはだかっていた一つの大きな技術的障壁を解決することができました。今後の研究開発としては、主として4つの方向性が考えられます。1つ目は、何故ヒトES細胞でだけ(マウスES細胞ではなく)細胞死が高頻度に起こるのかという疑問に答える基礎研究です。2つ目は、この新規の培養法を用いて、臨床応用に使えるより高い品質のヒトES細胞を大量に培養するプロセス技術開発です。3つ目は、マウスES細胞で開発済み(または開発中)の有用細胞(視細胞など)産生技術をヒトES細胞へ迅速に技術移転することです。4つ目は、今回産生が可能となったヒト由来の大脳神経細胞を用いて、脳梗塞やハンチントン病への細胞治療法の開発や、アルツハイマー病などへの新薬の開発研究を支援することです。
 理研発生・再生科学総合研究センターでは、様々なヒトES細胞の研究開発を行っており、それらの成果の社会還元を念頭に、開発技術の医学応用を促進する基盤整備を開始しました。本年度からは、ヒト幹細胞研究支援室を設置し、国内の研究機関・開発機関(民間を含む)への技術面、管理面(生命倫理面を含む)での支援を行う体制作りを2年以内を目処に整備する予定です。

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