理化学研究所と東京大学、320アト秒のパルス光の構造解明に成功
世界最短の物理現象:320アト秒のパルス光の構造解明に成功
- 窒素分子で極端紫外レーザー光の波をとらえる -
◇ポイント◇
●アト秒パルス光の最短時間構造中に、さらに細かい構造を発見
●極端紫外レーザー光照射で「2光子クーロン爆発」という現象を利用して実現
●アト秒化学の第一歩
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と国立大学法人東京大学(小宮山宏総長)は、極端紫外レーザー光によって引き起こされる非線形光学現象※1を用いて、「アト秒(100京分の1秒、10-18秒)」というとてつもなく短い時間構造(パルス幅)を作り出し、1000兆分の0.32秒(320アト秒)という世界最短の物理現象の測定に成功しました。さらにそのレーザーパルスの中に、規則正しい波の構造がある事を世界で初めて直接観測する事にも成功しました。理研中央研究所(茅幸二所長)緑川レーザー物理工学研究室の緑川克美主任研究員と同研究室山内薫客員主幹研究員(東京大学大学院理学系研究科教授)らの研究グループによる研究成果です。
研究グループは、可視レーザー光を短い波長(極端紫外や軟X線)のレーザー光に変換し、これを原子や分子に照射することによって生ずる状態の変化について研究を行ってきました。今回、波長42~89ナノメートル(10億分の1メートル、10-9メートル)の極端紫外レーザー光を窒素分子に照射し、「2光子クーロン爆発※2」という新しい非線形光学現象を観測しました。具体的には、2つの極端紫外レーザー光を到達時刻に差を付けながら窒素分子へ照射する実験などを行った結果、そのレーザー光は、1000兆分の0.32秒という大変短い時間幅のパルス光が、1000兆分の1.33秒毎に連なった形で構成されている事がわかりました。これは同研究グループの持っていた最短時間構造の直接観測の記録を更新する世界記録です。さらに「パルスの形」だけではなく、パルスを構成している「波」の構造の直接観測に成功、1000兆分の1.33秒毎に並んでいる隣同士のパルスは「パルスの形」は同じでも「波の形」は反対向きに、規則正しく並んでいる事が明らかになりました。この事実は理論的には予想されていたものですが、直接的な測定でこれを証明したのは世界で初めてです。
この研究成果によって、アト秒パルス光の性質がさらにはっきりしたと同時に、この光を使って分子の超高速の反応制御をする道が開けてきました。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』の10月13日付けオンライン版に掲載されました。
1.背 景
テレビでスポーツ中継を見ていると、しばしば得点シーンなど大事な場面は必ずスローモーションで再生されます。この再生で、選手やボールの動きをゆっくり、あるいは「止めて」見る事によって、何故そのような結果に至ったかが説明し易くなります。
これと同じ様に、基礎科学の分野では日常生活で見られる物よりも遥かに速い現象を「止めて」観測し、その現象への理解を深める努力がなされてきました。一瞬だけ光るパルス光を出すパルスレーザーは、そのためのいわばストロボの役割を果たすものとして、開発に長い歴史を刻んでいます。ストロボの光る時間幅、すなわちパルス幅が狭くなれば狭くなる程、より速い現象を止めて見る事ができます。近年ではいわゆる「フェムト秒レーザー」(1フェムト秒は1000兆分の1秒、10-15秒)と呼ばれるレーザーが実用化され、10兆分の1秒から100兆分の1秒程度の時間であれば、「止めて」見る事が可能になっています。
現在では、これよりもさらに短いパルス幅のレーザー光を得ようという試みが行われる様になってきました。「アト秒化学」と呼ばれるこの分野は、世界各国で盛んに研究されており、化学反応や分子振動などよりも早い究極の高速運動である「原子内部の電子の周回運動」を止めて見る事を1つの大きな目標としています。
しかし、これまで行われてきた他のグループの研究では、アト秒パルスの中身、すなわち光パルスを構成している「波」の姿までとらえる事はできませんでした。
2.研究手法と研究成果
パルスレーザー光の短パルス化には、原理的な制限があります。光は波の性質を持っているので、波の「山・谷」、という1回の周期に必要とする時間よりも短い時間幅のパルスはつくれません。従って、短いパルス幅のレーザー光は、波の周期が短い、つまり、波長の短いレーザー光を使わなくては作り出せません。また、パルス状の波を作るためには、異なる波長のレーザーを規則正しく重ね合わせる事が必要となります。これをフーリエ合成と呼びます(図1)。この結果、得られるパルス光は、間隔が一定で、列状に並んだ複数のパルス光の列となります。パルス1つあたりの幅が1フェムト秒未満のとき、このような光パルスの列の事を「アト秒パルス列」と呼びます。
今回の研究では、強力な可視光レーザー(フェムト秒レーザー)をキセノンガス中に集光して、可視光レーザーの波長がそれぞれ1/9、1/11、1/13、1/15、1/17、1/19となる6種の「高次高調波※3」光を発生させ、これをそれぞれ異なる波長のレーザー光源として用いました。その理由は、高次高調波が、発生原理と伝播の機構から、発生条件を工夫するとフーリエ合成が実現され、アト秒パルス列になると考えられていたからです。
これら6つの高調波を、反射鏡を使って飛行時間測定型のイオン分光器に導き、この中で窒素分子ビームに照射しました(図2)。高調波強度が十分強いとき、窒素分子が高次高調波の2光子を吸収し、2個の電子がはぎ取られて電子2個分のプラス電荷を持つ窒素分子イオンができる可能性が高くなります。さらに、これが2つの窒素原子イオンに分かれる場合もあります(この現象をクーロン爆発といいます)。イオン分光器はこれらの分子イオンを捉える事ができます。
測定グラフ上で、電子2個分のプラス電荷を持つ窒素分子イオンのピークは、窒素分子の質量の半分に相当する質量数14の位置に現れます。そこで、それに相当する部分の信号を拡大したものが図3(a)です。中心部Cから離れた位置にSとS’で示したように中心ピークの両側に「サイドピーク」を観測する事ができました。サイドピークの位置を解析する事により、これが高次高調波の2光子吸収によるクーロン爆発で生じたものである事がわかりました。極端紫外レーザー光の2光子吸収でのクーロン爆発を観測したのはこれが世界で初めてです。
次に、高調波光の反射鏡を2枚にして、高調波光を空間的に2つに分割して(図4)、窒素分子ビームに照射しました。この様にすると、片方の反射鏡を前後させる事によって2つの高調波光の通る経路の長さを変え、窒素分子ビームに辿り着く時刻の差(遅延)を変化させる事ができます。この遅延を変化させる事によって、2つの高調波光に対して窒素分子の信号がどの様に変化するかを測定すれば、高調波光自身の時間構造が分かることになります。
この結果、2つの高調波光の間の遅延時間に対して1000兆分の1.33秒の周期で増減している事が分かりました(図3(b))。これがアト秒パルス列で、パルス幅は320アト秒でした(図5)。これは同研究グループの持っていた最短時間構造の直接観測の記録(450アト秒:http://www.riken.jp/lab/dri/discovery/jpn/press/press060316.htmlを参照)を更新する世界記録です。
さらに、もっと細かい増減の繰返しの「縞(しま)」がある事が分かりました。この縞の間隔を詳しく調べると、実はこの縞はパルス列を構成する「波」そのものを反映している事がわかりました。驚くべき事に、5つの「パルス」の内、真ん中と両端の3つは、パルスピークの中央が凸であるのに対して、残りの2つはパルスピークの中央が凹になっているのです(図6)。これはパルス列の隣同士の「波の形」が反対向きになり、もう1つ先の隣では元に戻る事を表しています。
この様に、(1)2光子クーロン爆発の測定、(2)最短の時間構造(パルス波形)の直接測定という重要な成果に加えて、(3)アト秒パルス列の波としての構造を世界で初めて直接とらえた事が、今回の研究の最も大きな成果です。
3.今後の期待
パルス列の「波の形」については、2005年にノーベル物理学賞を受賞した独国マックス・プランク研究所のテオドール・ヘンシュ博士と米国国立標準技術研究所のジョン・ホール博士が、それぞれ可視光のフェムト秒レーザー発振器で研究を行っていました。今回、極端紫外光のアト秒レーザーのパルス列で「波の形」の情報が得られた事は、可視から極端紫外へ、フェムトからアトへ、さらに研究領域が広がった事を意味します。
ただ、アト秒パルス列はまだ完全には明らかになっていません。例えば、今回の研究で隣同士の関係は明らかになりましたが、「波の形」そのものが明らかになった訳ではありません。今後の研究で「波の形」そのものを計測、制御する技術が開発されれば、アト秒パルスを自在に操り、これによって分子の中の原子、さらには電子の動きをアト秒精度で制御する道が開けるでしょう。