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2007'06.01.Fri

理化学研究所、嗅覚神経細胞の鼻への配置と脳への神経接続に必須な遺伝子を同定

嗅覚神経細胞の鼻への配置と脳への神経接続に必須な遺伝子を同定

- 神経回路形成の2つの重要なステップに同じ遺伝子が関与 -


◇ポイント◇ 
●嗅覚神経細胞が鼻に集合するためには遺伝子Cxcr4が欠かせない
●Cxcr4は鼻から脳への神経接続にも関与し、欠損すると神経回路形成が不全に
●脳の神経回路形成の分子メカニズム解明に大きく貢献するものと期待


 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、嗅覚信号を鼻から脳へと伝える神経回路の形成に必須な遺伝子を同定しました。理研脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)シナプス分子機構研究チームの宮坂信彦研究員と吉原良浩チームリーダー、米国ハーバード大学との共同研究による成果です。
 においの源から発せられた化学物質(におい分子)は、鼻の奥にある感覚神経細胞(嗅細胞)によって受け取られ、その情報は、神経線維を介して脳に伝えられます。多種多様な「におい」を識別するためには、においセンサーである嗅細胞と情報処理装置である脳を結ぶ精密な神経回路の形成が必要です。神経系の発達過程では、性質のよく似た神経細胞は、誕生後に決められた場所まで移動して細胞集団を形成し、そこから神経線維を目的地へと伸ばして神経回路を形成します。しかしながら、神経細胞の移動と神経線維の伸長という2つのステップが、どのような遺伝子によって統合的にコントロールされるのかについては、ほとんど解明されていませんでした。
 研究チームは、発生生物学や遺伝学の分野でモデル動物として注目される熱帯魚「ゼブラフィッシュ(※1)」の嗅覚神経細胞を蛍光タンパク質で可視化し、将来鼻になる場所へ嗅細胞が集合する様子と、脳への神経線維の伸長過程を詳細に解析しました。その結果、移動中の嗅細胞に発現する遺伝子「Cxcr4(※2)」が、将来鼻になる領域に細胞を正しく集合させる働きを持つことを突き止めました。さらに、Cxcr4の機能を欠損したゼブラフィッシュ変異体では、嗅細胞が鼻に配置できたとしても、神経線維を脳に向かって伸ばすことができないことを発見しました。
 これらの結果は、嗅覚神経回路形成のための2つの重要なステップが、Cxcr4によって統合的に制御されていることを示しています。嗅覚神経系は、脳の複雑な神経回路を研究するための優れたモデルシステムです。今回得られた知見は、嗅覚のみならず、脳の神経回路形成の分子メカニズムの解明に大きく貢献するものと期待されます。
 本研究成果は英国の科学雑誌『Development』(5月30日付け・オンライン)に掲載されます。 


1.背 景 
 神経細胞は、誕生後に特定の場所へと移動して、性質のよく似た神経細胞の集団(神経節、神経核、層など)を形成します。その後、異なる神経細胞集団同士が、神経線維を介して精密に接続することで、秩序立った神経回路網が形成されます。そのため、脳神経系の成り立ちを理解するには、このような神経細胞の移動と神経接続がどのように制御されているのかを解明することが重要となります。
 嗅覚は、ほぼすべての動物において、外界の情報を感知するセンサーとして、摂食行動、危険回避行動、生殖行動などの生命活動に重要な役割を果たしています。「におい」の成分であるさまざまな化学物質(におい分子)は、鼻の奥に存在する嗅覚神経細胞(嗅細胞)によって受け取られます。この「においの情報」は、嗅細胞の神経線維(軸索)を介して、脳の先端の嗅球と呼ばれる最初の情報処理中枢に伝えられます。多種多様なにおいを識別するためには、鼻と脳の間に精密な神経回路を構築することが必要です。
 2004年のノーベル医学・生理学賞は、嗅細胞に発現する「におい分子受容体遺伝子(※3)」を発見した米国科学者のリンダ・B・バック博士とリチャード・アクセル博士に贈られました。両博士の発見が契機となり、においの受容機構と鼻から脳への神経配線様式の理解は、この15年で飛躍的に進みました。しかしながら、嗅覚神経回路がどのような分子メカニズムによって形成されていくのかについては、その多くが謎のままでした。
 この謎を解明するために研究チームは、稚魚の身体が透明で、遺伝子工学的手法が確立されている熱帯魚「ゼブラフィッシュ」を用いて、嗅覚神経回路形成の分子メカニズムについて解析を行いました(図1)。ゼブラフィッシュは、発生神経生物学の分野で有用なモデル生物として注目されており、特に嗅覚系の発達している魚類は、古くから嗅覚研究に適したモデル生物としてにおい受容機構の解明に大きく寄与しています。


2.研究手法 
(1)嗅細胞で蛍光タンパク質を発現するトランスジェニックゼブラフィッシュの利用
 研究チームは、これまでに、クラゲ由来の蛍光タンパク質を嗅細胞で発現するトランスジェニック(遺伝子導入)ゼブラフィッシュを作製しています。このゼブラフィッシュの稚魚では、共焦点レーザー顕微鏡を用いると、嗅細胞の「配置」や「軸索が鼻から脳へと伸びていく過程」を生きたまま詳細に観察することができます。

(2)Cxcr4遺伝子機能欠損変異体の解析
 これまでに、免疫細胞の炎症部位への誘引に関与することが知られているCxcr4遺伝子が、ゼブラフィッシュ稚魚の鼻に発現することが報告されていました。しかし、この遺伝子が嗅覚系の形成にどのような役割を果たすのかはわかっていませんでした。研究チームは、Cxcr4機能欠損変異体「odysseus(オデュッセウス)(※4)」と嗅細胞可視化トランスジェニックゼブラフィッシュを交配して、嗅細胞の配置と鼻から脳へ軸索が伸長する過程を詳細に解析しました。
 
(3)SDF-1ケモカインの発現部位の遺伝子工学的操作 
 Cxcr4は、SDF-1(※5)と呼ばれる分泌性タンパク質(ケモカイン)の受容体です(図2)。SDF-1遺伝子は、移動中の嗅細胞に隣接した組織や、嗅細胞の軸索が脳へと伸長する通り道に発現しています。遺伝子工学的手法により、SDF-1を本来の発現場所とは別の場所で発現させたゼブラフィッシュを作製し、SDF-1が正しい場所に発現することが嗅覚神経回路形成にとって必要かどうかを調べました。


3.研究成果 
(1)Cxcr4遺伝子は嗅細胞が将来鼻になる領域に集合するのに必要
 ゼブラフィッシュの嗅細胞は、将来鼻になる領域よりも広い領域で誕生し、その後移動して鼻へと集合します(図1)。研究チームは、この移動中の嗅細胞にCxcr4遺伝子が発現していることを発見しました(図3)。
 Cxcr4遺伝子の機能を解析するために、Cxcr4遺伝子機能欠損変異体odysseusでの嗅細胞の配置を解析しました。その結果、odysseus変異体では、一部の嗅細胞が鼻に集合することができずに、鼻の外に置き去りにされてしまうことがわかりました。Cxcr4は、SDF-1ケモカインの受容体です。遺伝子工学的手法でSDF-1の発現量を減少させるとodysseus変異体と同じように鼻に集合することができない異常が現れることから、Cxcr4受容体を介したSDF-1のシグナルが嗅細胞の鼻への集合に必要であることが明らかとなりました(図4)。
 また、SDF-1を本来の発現場所とは異なる場所に強制的に発現させると、嗅細胞がその近傍に集まることから、SDF-1は、嗅細胞をその近傍に誘引する(または、とどめる)機能があることがわかりました(図5)。
 
(2)Cxcr4遺伝子は鼻から脳への神経接続に必要 
 Cxcr4遺伝子は、嗅細胞が鼻に集合した後もしばらく発現が持続することから(図3、受精後20-24時間)、細胞移動の制御以外にも何らかの役割を果たしていることが推測されました。odysseus変異体では、一部の嗅細胞は鼻の外に取り残されますが、それ以外の嗅細胞はどうにか鼻に配置することができます。研究チームは、鼻に配置した嗅細胞の脳への軸索投射を解析しました。その結果、odysseus変異体の約半数では、嗅細胞の軸索が鼻と脳の境界領域で停滞し、脳まで到達できませんでした(図6)。興味深いことに、片側の鼻だけで脳への神経接続を欠損した「片鼻のゼブラフィッシュ」も見つかりました(図6中央)。
 このような軸索投射の異常がどのようにして生じるのかを解析するために、odysseus変異体と嗅細胞の軸索を蛍光タンパク質で可視化したトランスジェニックフィッシュを交配して、軸索の伸長過程を生きたまま観察しました。その結果、odysseus変異体では鼻から脳へと伸長する最初の軸索(最初期軸索)の伸長に異常があることがわかりました。さらに、最初期軸索がある程度脳に到達することがきる場合には、その後の神経接続はほぼ正常に形成されますが、最初期軸索がほとんど脳に到達できない場合には、後から伸長する軸索は脳へと侵入できずに鼻と脳の神経接続を完全に欠損してしまうことがわかりました(図7)。このことは、最初期軸索が鼻と脳の橋渡しをすることによって、後から伸長してくる軸索の足場となることを示しています。


4.今後の期待 
 今回の研究で、Cxcr4遺伝子が嗅細胞の配置と神経線維の投射という神経回路形成の2つの重要なステップに関与することが明らかになりました。嗅覚系は、神経回路と機能的出力(動物の行動)の関係が明確な感覚システムの一つです。魚類では、傷ついた魚の皮膚から出るにおいを嫌う危険回避行動(本能行動)や、生まれた川のにおいを覚えていて産卵のために戻ってくる母川回帰行動(におい刷り込み)がよく知られています。したがって、嗅覚神経回路の形成メカニズムを明らかにすることは、動物の行動と神経システムの構造との関連を理解するための大きな手掛かりになると思われます。特に今回研究チームが見いだした片鼻のゼブラフィッシュ(図6中央、図7右)は、末梢神経入力と高次神経回路形成の関連、脳機能の左右差などにアプローチするための有効なモデルとなることが期待されます。
 また、カルマン症候群(※6)などの先天性脳機能障害では、鼻から脳への神経投射不全による嗅盲または嗅覚機能の低下も報告されており、今回の嗅覚神経系の解析で明らかになった知見が、疾患の発症メカニズムの解明に貢献することも期待されます。


*補足説明などは、添付資料をご参照ください。

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