理化学研究所、植物の内的要素の変動解析技術を開発
世界最大のNMR施設を活用したメタボローム解析を本格始動
- 食糧問題、エネルギー問題解決の新品種改良へ期待 -
◇ポイント◇
・植物の13C標識技術による、理研オリジナルな多次元NMRメタボローム法の確立
・植物の内的変動を、炭素代謝産物群のバランスを通して検出する新手法
・アルビノ植物変異体の内的変動が炭素/窒素バランス依存であることを実証
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、植物が変異した際に変わる香り、味、栄養バランスといった内的要素の変動を、安定同位体で標識化した炭素代謝産物群を通して網羅的に解析することができる新手法を開発しました。これは、理研植物科学研究センター(篠崎一雄センター長)先端NMRメタボミクスユニットの菊地淳ユニットリーダー、同中央研究所(茅幸二所長)工藤環境分子生物学研究室の平山隆志専任研究員らの研究成果です。
普段私達が食する野菜や果物は、外見の美しさより内的要素(化学物質群のバランス)の方が実は重要です。こうした植物の内的要素の変動を研究するメタボローム(※1)法では、従来、質量分析(MS)法(※2)が用いられてきました。この方法は感度が高く、言わば“嗅覚”のように微量な分子群を検出することができます。一方、今回開発した核磁気共鳴(NMR)(※3)による方法は、感度こそ低いものの、分子群の化学構造に対応して代謝混合物のシグナルを分離して検出することや、“食感”に値する物性特性など、非常に幅広い情報を抽出する事ができる、いわば“味覚”のような検出手段です。つまり、“嗅覚(MS法)”に“味覚(NMR法)”という新たな検出手段を加えてメタボローム解析を行うことによって、植物の内的要素をより多彩に評価することが可能となりました。このNMR法を用いたメタボローム解析を、葉緑体を作らず無色になるアルビノ植物変異体のシロイヌナズナの内的要素の分析に適応し、成長を左右する炭素/窒素バランス(※4)が崩れていることを見出すとともに、遺伝子発現データとの関連付けも完了しました。この新しい検出手段により、植物に期待される食糧問題の解決や石油代替材料・エネルギーの開発に役立つ、新たな化学資源の評価法が加わります。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Journal of Biological Chemistry』に近日掲載予定です。
1. 背 景
今世紀に顕在化する食糧問題やエネルギー問題を前にして、植物バイオマスへの期待はますます高まっています。例えば、近年急激に穀物価格が上昇していますが、これは温暖化ガスの一つであるCO2を利用した炭素代謝の結果得られる植物バイオマスを使って、バイオエネルギーを得ているためです。この植物バイオマスも、可食部であるでんぷんばかりが利用されて、残った茎や葉の効率的な利用法が見出されていないために、食糧とエネルギーのバランスに破綻が起き始めています。
このように、植物を食糧やエネルギー源として捉えた時、植物に求められるのは外見ではなく、味、栄養バランス、堅さといった内的要素です。これら内的要素は、多様な代謝産物群のバランスで左右されます。したがって、植物に対する重要な課題は、炭素代謝を通して内的要素の変動を検出することでした。たくさんの化合物群からなる内的要素の変動を一斉に解析する手法をメタボロームと呼び、従来は質量分析(MS)法が広く用いられてきました。この方法は感度が高く、言わば“嗅覚”のように微量な分子群を検出することができます。しかし、植物を構成している化学構造など幅広い情報を得て、植物の内的要素をより多彩に評価するためには分析能力が不十分でした。
研究チームは、代謝混合物の組成を調べることが可能な核磁気共鳴(NMR)を活用して、非常に幅広い情報を抽出できる方法を開発しました。この方法は感度こそ低いものの、多様な分子群の化学構造や“食感”に値する物性などを検出できることから、“嗅覚”のようなMS法に対して、“味覚”のような検出手段となります。メタボローム解析に新たな検出手段を加え、植物の内的要素をより多彩に評価することに挑みました(図1)。
2. 研究手法と成果
同センターでは、モデル植物のシロイヌナズナをターゲットとして、その全遺伝子の機能解明に取り組み、形態変化のデータベースを公開してきました(2006年7月27日プレス発表)。今回はこの変異体資源の中でも、葉緑体を作らないために無色なアルビノ変異体3種と野生株の計4種について、代謝産物の比較を行いました。具体的には、まず、これらの植物抽出物を安価で簡便な1次元NMR法で計測し、続いて代謝物変動の詳細を解析するために、13C均一安定同位体標識化(※5)した植物抽出物の2次元NMR解析を行いました。さらに、代謝産物だけでなく遺伝子レベルでの変動も検出するために、同じサンプルのDNAマイクロアレイ(※6)解析も行い、アルビノ変異に伴う内的要素の変動を統合的に解析しました。
(1) 1次元NMR法による簡易的解析
抽出物をそのまま計測する1次元NMR法でも、内的要素の変動要因となっているアミノ酸、脂質、糖などの代謝産物プロファイルの比較を簡便に行う事ができます。この1次元NMR法を使い、野生株とアルビノ変異株の抽出物を解析したところ、脂肪族官能基を有する代謝産物群などの組成が大きく異なることを見出しました。また、無色の3種のアルビノ変異株の間でも、抽出物の組成に代謝産物プロファイルのわずかな違いがありました。その結果、野生株を加えたこれら4種は化学的組成が異なり明確に分類できることを確認しました。
(2) 代謝産物群の2次元NMR解析
研究グループは、独自に開発してきた植物個体を標識できる13C均一安定同位体標識技術(特許出願中)と、植物体内での炭素代謝を追跡できる2次元NMR技術を組み合わせることにより、代謝産物群を分離良く観測できる多次元NMRメタボローム技術という新手法を開発しました。この手法では、均一に標識化した炭素代謝物を、炭素-水素結合交差シグナル(スポット)として網羅的に調べることができます。この手法を用いて、内的要素の変動要因となっているアミノ酸、脂質、糖などの主要代謝産物群を3種のアルビノ変異体で比較した結果、炭素/窒素バランスを保つために重要なアミノ酸のアスパラギン、グルタミン等の代謝産物群が、3種のアルビノ変異体では野生株に比べて5~15倍も多く蓄積されるという、類似の傾向で変動していることを見出しました(図2)。
(3) DNAマイクロアレイ解析
主要な代謝産物群を触媒するタンパク質を作る遺伝子の発現量を網羅的に調べるために、DNAマイクロアレイ解析を行いました。野生株とアルビノ変異株とを比較した結果、アルビノ変異株ではこれらの代謝産物群を触媒するタンパク質のうち、窒素含量を多く蓄積するようなタンパク質の遺伝子が多く発現していました(図2)。
このように、アルビノ変異に伴う内的要素の変動を、遺伝子レベルから代謝産物群まで幅広い情報にわたって、検出することができました。今回、開発した13C均一安定同位体標識技術と2次元NMRメタボローム技術を組み合わせた新しい検出法は、炭素代謝動態を網羅的に低分子から高分子まで追跡する事ができ、新たな植物評価手法として期待できます。
3. 今後の期待
昨今、“メタボリック・シンドローム”という言葉をよく耳にしますが、代謝変動という内的要因を知ることが重要なのは、ヒトに限らず多くの動物、植物、微生物でも同様です。また、生活習慣病の潜在性のようなネガティブな要因ばかりでなく、食糧の増産や石油代替材料・エネルギーの開発のための作物や樹木の生産性向上といった、ポジティブな要因を知るためにも、炭素代謝産物群の解析は重要です。例えば、植物の香りを分析することが重要なこともあれば、味や堅さを知ることを必要とすることもあります。得たい情報が多様であるほど、検出手段には応用範囲の広さが求められます。今回開発した多次元NMRメタボロームの手法を駆使すると、これまで一斉に解析できなかった植物の代謝産物情報から遺伝子情報に至る幅広い情報が得られ、植物科学の斬新な評価法へ発展することが期待できます。また、NMRは、国内シェアが最も多い分析装置のうちの一つで、広く流通しているために、裾野の広い普及が期待できます。さらに、効率良く有用な植物を創るためには代謝産物と遺伝子機能との対応が必要となり、情報技術の革新が求められて来ましたが、本手法はその技術として応用することが期待できます。
<補足説明>
(※1) メタボローム
計測可能な代謝産物群の一斉解析法のこと。検出法の感度限界や化合物の溶解性等の問題で、計測可能な代謝産物群の数は限られてしまい、メタボローム解析の一つの技術課題となっている。
(※2) 質量分析(MS)法
原子、分子、クラスター等の粒子を何らかの方法で気体状のイオンとし、真空中で運動させ電磁気力を用いてそれらイオンを質量電荷比(m/z)に応じて分離・検出する方法。代謝混合物を計測する場合は、大抵別の分離手段で化合物を分離し、その方法に応じて液体クロマトフィー(LC)-MS、ガスクロマトフィー(GC)-MS、キャピラリー電気泳動(CE)-MSと略される。
(※3) 核磁気共鳴(NMR)法
化学分析機器としては最もシェアの多い分析手法のうちの一つであり、試料の前処理が不要、不溶試料でも計測が可能といった利点があるものの、低感度という欠点も同時に有する。化学構造に応じて、磁場中での共鳴吸収が異なることを利用した分析法で、代謝混合物の構造の違いを反映して、シグナルが分離する。
(※4) 炭素/窒素バランス
植物は栄養源の殆どを無機物に依存しているため、その体内では炭素と窒素は単独で代謝されるだけでなく、互いの存在比(バランス)を制御しながら成長の各段階、各組織での適応をしている。従って、遺伝子の変異等により炭素/窒素バランスが崩れると、著しく成長にも影響する。
(※5) 安定同位体標識化
13C、15N、17Oといった原子核は天然存在比は低いものの、生体には安全な同位体核であるため、これらを含んだ化合物を生物に取り込ませ、標識化して検出を容易にする方法のこと。NMR法では陽子数、原子番号とも偶数でない核(核スピンを有する核)が観測対象であり、安定同位体標識化が極めて有効である。
(※6) DNAマイクロアレイ
別名DNAチップとも呼ばれ、数万に区切られたスライドグラスやシリコン基盤の上に、DNAの部分配列を高密度に固定化したもの。この実験器具を用いることにより、数万にも及ぶ遺伝子発現を一度に検出することが可能となる。